村人Dが主人公になるまで

自分を変えたい。未来を変えたい。人生を変えたい。

(32)村人Dは「好き」を大切にする。

 

村人Dは一度好きになるとずっと好きです。

人も、物も、動物も、食べ物も、ずっと好きです。

 

例えば、友達。

村人Dは友達があまりいません。

「知り合い」はたくさんいます。

 

しかし一度友達になると、ずっと大切にします。

 

 

 

アニメや漫画も、流行よりも「好き」を大切にします。

 

 

村人Dは好きになるのに時間がかかります。

好きになっても流行遅れになっていることが多いです。

「今更?」「今はこれでしょ」という反応もたくさんされました。

 

流行より、自分の「好き」

むしろ流行なんて「知らん」

 

「みんな」より「じぶん」

 

皆さんの「好き」は何ですか?

 

 

 

(31)村人Dは優しさを感じる。

 

村人Dは、最近気づいたことがあります。

 

それは、村人Dに対して優しい人がいる、ということです。

 

友達に裏切られたこともある村人D。人を信じることができなかった時期が長かったのです。

 

大抵、年上の女性に嫌われます。いじめられます。それで、何回アルバイトを辞めたかわかりません。

村人Dは舐められやすいのです。

 

しかし、最近「皆が皆、敵意を持って近づいてこない」ということに気づきました。

むしろ優しくしてくれる人がたくさんいるのです。

 

村人Dが見る世界は少しずつ、優しくなってきました。

 

 

(30)村人Dは最近、当初の目的を忘れている。

 

村人Dは甘い飲み物が好きです。

コーラ、スポーツドリンク、スタバやタリーズの甘いコーヒー。果物系のジュース等々。

 

体に悪いのはわかっています。

 

いわゆる角砂糖何個分、というのもわかっています。

 

砂糖は依存性があります。

 

 

甘いもの好きな村人Dは、健康を守る程度の適切な量も知っています。

 

やめられないのです。

 

 

アルコールや薬物は問題になりますが、砂糖も依存性があります。

 

問題は、太ります。

太るんです。

 

なんとかせねば、と思いますが

 

今これを書きながら、

 

 

 

カントリーマアム食べてます。

 

 

おいし。

 

 

 

 

(29)村人Dは隙間を埋める。

 

村人Dは本が好きです。

 

高校生の時はどの本がどの棚の何段目にあるか覚えているくらい本を読んでいました。

 

村人Dの通っていた高校は、図書館が教室棟から少し離れた不便な場所にあったので、もはや村人D専用の部屋でした。

 

図書館の予算を独り占めして本を買い漁るという暴挙もしていました。

(※公平になるように生徒全員に「図書館の本を選びに行きませんか?」とポスター等で告知されます。ですが村人D以外誰も来なかったので予算全額(二十数万円分)の本を村人Dと学校司書さんで選びにいくことになりました。夏季と冬季の2回。すこぶる楽しかったです。)

 

家庭訪問の時に、先生に自室を見られた時も「机も本棚も本しかないんだが?(教科書や参考書はどこにあるんだ(意訳))」と言われました。

 

教科書類は全部置き勉してました。

 

宿題も置き勉してました。宿題なんてやらないので置き勉というより置き去りにしていました。

 

本自体に価値はありません。

紙の集合体でしかありません。

本の価値は情報です。

 

村人Dが高校生の頃は電子書籍の黎明期でした。まだ紙が主流の時代でした。

よって読んだ紙の量でその人の持っている情報量がわかります。

 

1年間に読んだ本の数が全校1位の人には図書券が学校から贈呈されます。

村人Dは3枚もらいました。

 

 

とにかく本が好きなのです。

 

 

しかし、突然読めなくなりました。

 

うつの急性期。発症して一週間ほど。

 

薬の説明文が読めません。問診票に書いてある文字が読めません。

 

おそらく自分に絶望したのは「鬱になった自分」よりも「文章を理解できなくなった自分」の方が大きかったように思います。

 

 

今は集中力が以前よりなくなったとしてもそこそこ読めるくらいには回復してきました。

 

今は電子書籍も、紙媒体も、とても充実しています。

 

少しずつ、読めなかった時期に発売された本を読もうかなと村人Dは考え始めました。

 

辛かった時期を、今、埋めるように。

 

また「本って面白いな!」と心から思えるように。

 

 

(28)村人Dは労わる。

 

村人Dは、「疲れ」=悪と考えています。

 

疲れるのは自分の体力がないから、効率よく動けないから、だと考えています。

 

しかし本当にそうでしょうか。

 

 

一生懸命、1日を生きたら疲れます。

一生懸命、働いたから疲れます。

 

一生懸命、頑張ったのです。

 

 

疲れは頑張った証。

 

自分を労わりましょう。

 

 

 

(27)村人Dは我慢する。

 

村人Dにも、何もかもうまくいかない日があります。

 

全く集中できないのです。

 

車に乗ってても道を間違えたり、アルバイトではレジの打ち間違い、家ではお皿を割る・・・。本当に最悪の人いうのが存在します。

 

そういう時は大体、体のどこかに不調があります。

でも村人Dは気づかないのです。

 

「うーん、頭が重いなあ、コンタクトのせいかなあ、目薬でも差しておくか。」と思っていたら偏頭痛の兆候であったり(薬を飲むのが遅れる)

「うーん、モヤモヤする。うつ再来かなあ。」と思っていたら歩くのも辛いくらいの胃痛になったり。

 

自分の体調に気づかないのです。

全て「集中力が足りない」に帰着します。

体調が悪いから集中できないのに。

 

ギリギリまで気づきません。

 

「立てていれば大丈夫」と思っています。

 

村人Dが通っていた小学校と中学校は生徒数が多い学校でした。

 

しかし養護教諭は1人。もちろん次々来る体調不良者に付き添う暇はありません。

なので「入室するときは学年とクラス、名前、どのような体調不良なのか、どうして欲しいのかを言う」というルールを設けました。

体調不良なのに1年生でも申告制。「で?」「それで?」「まだ我慢できる」「大したことない」と大体の生徒は追い返されます。

 

夏の食中毒では2回嘔吐してやっと保護者や病院に連絡します。

冬のインフルエンザは、体温が38℃を越したら連絡します。

 

そんな学校です。

 

学校というか、そんな養護教諭でした。

 

 

そして、村人Dの母親。

村人Dの母親は医療従事者です。

毎日重症人をみています。

 

なので少しくらいの体調不良も「そのくらい」といいます。

共感力がそもそもないので、人の辛さがわからないのです。

 

 

村人Dは自分が辛いのかもわからなくなりました。

「そのくらい」と家でも学校でも言われ続けていました。

 

村人Dも「そのくらい」と思って我慢をしていました。

体調だけではなく、メンタルも辛くなっても「そのくらい」と思っていました。

 

そして全て壊れました。

 

辛すぎて心が折れました。

 

「もう、頑張れない」と思いました。

 

少しでも「ちょっとは休もう」と思っていたら。

 

たらればを言ってても何も変わりません。

 

しかしこれからは変わっていけます。

 

自分を大事に。

自分最優先。